誰かのちょっとした批判や欠点を話題にしておいて、「まぁ、悪い人じゃないんだけどね……」でまとめてしまうことってないでしょうか?
そういった瞬間は誰にでもあります。日常のモヤっとしたこと、イラっとさせられたこと。そういうのは、たまには誰かに話して消化しなければなりません。
どんな人でもそうでしょう。「この人になら、大丈夫」という絶対的安心感のある人に、人の悪口を言うことは誰にでもあります。悪い人じゃないんだけど、イラっとする人のことが話題に出て「この人も、同じこと思ってた!?」という親近感を覚えてついつい揶揄してしまったりすることもあるでしょう。
「悪い人じゃないし、一見いい人だから、悪口なんて言っちゃダメなのに……」といううしろめたさをカバーするために「まぁ、悪い人じゃないんだけどね!」と取り繕うように言ってしまう場面に、度々遭遇してします。
でも、正直言って「悪い人じゃないんだけどね」を使うときは大抵、その人のことがけっこう嫌いなレベルに達しているのではないかと思っています。
悪い人じゃないけど、ちょっとイラっとする人のことは話題に上りやすい
悪い人じゃないけど、ちょっとイラっとする・違和感がある・めんどくさい……いろいろあると思うが、大抵の場合が心の中では「けっこう嫌い」のレベルに達していると思います。
だって、その人の「欠点」で誰かと意気投合したり、自制心が抑えられずに吐露してしまっている時点でもうそれは「好きじゃない人」ではありません。
でも、世の中には「好きな人」と「好きじゃない人」のどっちが多いかといえば、やっぱり「好きじゃない人」の方が圧倒的に多い。ただ「好きじゃない部分が気になるけど、仕事や事情で関わらざるをえないから、ちょっと愚痴ってしまう」のではないでしょうか。
いつもいつも愚痴ばかり吐いている人が言うのはまた別の話だが「悪い人じゃないけど、好きじゃない」のは、あとあとけっこうしんどいことになると覚悟するか、付き合い方を変えていくべきであると私は考えています。
本当に悪い人のことは、なかなか話しにくい
たとえばものすごく失礼な発言をしてきたり、いきなり怒鳴りつけてきたり、嫌がらせやいじめを受けたりしたら、どう対処するでしょうか?
本当に嫌な思いをした、怖い思いをさせられたりしたときって、案外人に話しにくいと感じることはありませんか?誰かに聞いてもらうにしても相手を吟味するし、他の誰かの耳に入らないように配慮したりするものだと思います。
でも「悪い人じゃないけど好きじゃない人」の話って、 飲みの席や世間話の中で、フワッと出てくるものです。
人を「嫌い」「好きじゃない」と言えない人が圧倒的に多い
世間話や飲みの席などで出る「悪い人じゃないんだけど」の対象者は、おそらくあなたにとっては、合わない人だし、好きじゃないし、どっちかと言えば嫌いなのではないでしょうか?
仕事で迷惑をかけられているとか、対応がめんどくさいとか、ノリが合わないとか、話がつまらないとか……そういうのはもう相性の問題であって、あなたがその人を「嫌いだな」って思うのは全然OKだと思います。
苦みがあるからピーマンは嫌い。好きじゃない。
顎の裏に張り付くから海苔はあんまり好きじゃない。
そういう感じだと思います。だから「悪い人じゃないんだけどね……」と言ってしまうような微妙な人への違和感は、大事にして、警戒心をもって先に進むべきなのです。
世の中のほとんどの人は「悪い人じゃない」
極論を言えば、世の中のほとんどの人は悪い人じゃありません。仮にも犯罪者だって、ものすごく複雑な事情があって、どうしてもそうせざるをえなくなってしまったり、衝動的になってしまったり、不注意だったり気の迷いだったり……
いろいろあるわけだ。世の中には、根っからの悪人なんていないけど、何かの事情や不器用さゆえに他人に迷惑をかけちゃったり、めんどくさい接し方しかできなかったり、いちいち話が長かったりするんだと思います。
でも、それを「悪い人じゃないから、がまんしないとね」なんてやっていたら、身が持たないと思うのです。
世の中の大半の人は「悪い人じゃないけど好きじゃない人」です。私個人は、大好きな人は右手で数えられるくらいで、あとのほとんどの人は悪い人じゃないけど別に好きじゃない人と、嫌いな人です。
自分に合う人なんて、なかなかいません。そうそういない。自分の許容範囲はけっこう狭いということを、もっとみんな分かったほうがいいのではないでしょうか。
悪い人じゃないけど、好きじゃない人とは距離をとるべきである
悪い人じゃないんだけどね……という言葉でフォローしてしまうような、小さな違和感のある人とは、あらかじめ距離をとったり、付き合い方や対応の仕方をちゃんと考えておいた方が良いかもしれません。
どんな人間関係トラブルも、最初は「小さな違和感」から始まる
ちょっとした人間関係のもつれ、仕事のトラブル、耐えられないようなドロドロのグループ交際……内容はどんなものであれ、最初はだいたい「小さな違和感」から始まっているのではないでしょうか。
なんかちょっと、合わないなぁ。なんかちょっと、嫌だなぁ。
そういう違和感って、最初は「小さなことだから」「これくらいのことで文句言っちゃダメだよね」って、フワッとごまかしてスルーしてしまうもの。でも、無意識のところでは「警告」を出している状態なのです。
でも「人の悪口言っちゃダメだよね」「まぁ、悪い人じゃないんだけど……」と濁して、無理やり自分の違和感や警戒心をなかったことにしようとする。
これって結構危険なこと。私は、小さな違和感があとあと大きな苦しみになるという体験をたくさんしました。他人のことを深く知ってみないと、相手と自分の相性を判断できないことも多いです。
最初は「悪い人じゃないんだけどね」と言っていたけど、最終的に大嫌いになるケース多し
悪い人じゃないから、一見いい人だから。
そうやって、違和感をごまかせばごまかずほど、最終的にその人にすごく強く縛られたり、悩まされたりすることがあります。仕事上どうしても付き合わなければならないとか、もうすでに相手と近しい関係を築いてしまったとか、そうなったときにはじめて「あ、私この人、めっちゃ嫌いかも」って認識することがあります。
「嫌い」と思うのが遅すぎる人、人を嫌ってはいけないという呪縛を信じ続けている人も多い。
最初の段階で「自分とは合わないから付き合い方を線引きしていこう」を実践できていたら、悪い人じゃないけど好きじゃない、という程度で済んでいたことも「悪い人じゃないから、一生懸命好きになろう」なんて思っていくうちにどんどん拒否反応やストレス反応が強くなります。
人間なんだから他人を嫌いと思っていいし、距離をうまくとれるようにならないと自分が苦しくなるばかりです。
根っからの「悪い人」なんてそうそういないから、少しでも違和感をもったら付き合い方を考えるべき
私もずけずけと物申してはいるが、以前は「悪い人じゃないから」「一見すると良い人だから」という理由で、人との距離感をうまく保てなかったり、自分のストレスをないがしろにしたりしていました。
そのとき読んだのが、下田壮太さんの「一見、いい人」が一番ヤバイという本でした。何で自分はいつも、ドツボにはまるまで人を嫌いになれないのか。自分と相手が合わないということに、なぜこんなにも気付くのが遅いのか……。
この本には「一見いい人こそ、注意して接するべきである」その理由を心理学を元に詳しく書かれています。
特に、仕事や親せき関係、ママ友、その他事情で「悪い人じゃないけど嫌いな人と、これからも付き合わなければならない」という状況に陥っている人におすすめです。
自分の感情の動き方や、人との相性、自分の気持ちやストレスを認めていい理由……読むとかなり心が晴れやかになるのではと思います。
世の中のほとんどの人は、悪い人じゃない。でも、直感的な不信感や拒否反応から愚痴や批判が出てしまい、最終的に「悪い人じゃないんだけどね」という言葉でフタをしているだけだと思います。
あなたはたぶんその人のことが好きではないし、これからもっと困ることになるかも……という危険予測である場合も多い。そのことに気づいて、もっと自分の違和感に素直になってみてはどうでしょうか?
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